「知らぬは損」という不条理
~JR窓口での体験から考える、真の「両立支援」~
先日、顧問先の経営者の方と、病気や障がいを抱えながら働く社員の「仕事と生活の両立支援」について意見交換をしていた際、あるエピソードを伺いました。
それは、障がい者手帳を持つ社員の「きっぷの発券」をめぐる、現代社会の歪みを象徴するような出来事でした。
■ 「最寄り駅で買えない」という見えないコスト
最近、東京では駅から「みどりの窓口」が次々と姿を消しています。
券売機やネット予約がある以上、合理化の流れなのだろう、と私も理解していました。
とはいえ、正直に言えば、長距離きっぷを券売機で購入するのは今でも戸惑うことがあります。

現在、障がい者割引のきっぷは、原則として「有人窓口での確認・発券」が必要です。しかし合理化が進み、その社員の最寄り駅からは窓口がなくなっていました。
特殊な切符の発券対応はアプリによるチケットレス化も進んでいるとはいえ、マイナンバーカード連携やクレジット決済が前提となる場合も多く、すべての人が利用できるわけではありません。
結果として、代理の方がわざわざJRに乗り、窓口のある別の駅まで往復して購入することになったそうです。
「きっぷ一枚」のために、時間と移動の負担を強いられる――。
多様性が叫ばれる時代にあって、どこか逆行しているようにも感じられます。
■ 何気ない一言で判明した「特例対応」
窓口で代理の方が、駅員さんにこう漏らしたそうです。
「不便になりましたね。ここまで来ないと買えないなんて……」
すると駅員さんから、思いがけない提案がありました。
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ここまで来るためにかかった運賃の全額払い戻し
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帰路用の専用チケット(無料)の発行
窓口のない駅の利用者が、遠方の窓口まで足を運ぶ負担を考慮した「特例対応」が存在していたのです。
しかし、言わなければ適用されなかった。
ここに、私は強い違和感を覚えました。
■ 「申請主義」が生む、静かな不公平
社労士として日々感じていることがあります。
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申請しなければ受け取れない給付金
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知らなければ活用できない助成金
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請求しなければ守られない権利
制度は整っている。
けれど、使えなければ存在しないのと同じ。
「申請主義」は公平に見えて、実は
“情報格差”を前提とした仕組みです。
本当に支援が必要な人ほど、制度にアクセスしにくい。
今回の出来事は、その縮図でした。
■ 合理化は、誰の負担で成り立っているのか
企業が合理化を進めるのは当然です。
しかし、そのコストは本当に公平に分配されているでしょうか。
窓口削減の負担を、
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障がいのある社員
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その家族や同僚
-
デジタルに不慣れな高齢者
こうした人たちが、静かに引き受けていないか。
合理化は、目に見えるコストを削減します。
しかし同時に、見えない負担を誰かに移している可能性があります。

■ 経営者に問いたいこと
ここで、経営者の皆様に問いかけたい。
御社の両立支援制度は――
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「制度がある」だけで満足していないか
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本当に“使える設計”になっているか
-
申請しない社員は「困っていない」と思い込んでいないか
制度は、掲げるだけでは意味がありません。
社員が声を上げなくても、自然に届く仕組みになっているかどうか。
合理化と包摂(インクルージョン)は、対立概念ではありません。
設計次第で、両立できるはずです。
真の両立支援とは、
「配慮します」と宣言することではなく、
“知らなくても守られる状態”をつくることではないでしょうか。
経営とは、効率を追求すること。
しかし同時に、誰が負担を背負っているかを見抜く力でもあります。
あなたの会社の合理化は、
誰かの「知らぬは損」を前提にしていませんか。
今一度、制度の設計を問い直すときに来ているのかもしれません。
☆御礼☆
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